MEMO

ミムラが見たり、聞いたり、感じた事を気ままに書くコラムです。

Jan.200813

『0の換算』

うっかりしました。前回文末に『二度目の年女だ』と表記しましたが、違いました。ワタクシ三度目の年女でした。いやいや、失礼しました。
と打ちつつもう一度考ながら、やはり二度目?という気もしている。年男、年女の定義が『生まれ年が、その年の干支にあたる人物』であることからすると、0歳の私はただの「子年に生まれてきた赤子」であって、年女ではないのかしら?どうなんだろう。

しかし0の概念ってどうも抜けがちだ。「1周年」や「20周年」には継続としての価値があるとしても、0が何らかの変化によって0以外の数値になる事だって、実は同等、場合によってはそれ以上にエネルギーが要るのに。なんだか私は認識が甘くて、つい、忘れてしまう。

英語には発音しないサイレントGH等というものがあるけれど、数字での0は決してサイレントナンバーではないですよね。それを「無」と勘違いする私の頭。0以下の数値の計算式を勉強していた時期に受けたテストで、0の存在をすっ飛ばした事によって丸より三角が多いという異例の採点模様を受け取る事になった。あの時は三角に囲まれているせいで、いつもより丸がかわいく見えたもんだ。まさに「負」。

お風呂で肩まで浸かって100数える時にも、かくれんぼで目隠しながら30数える時にも、「いーち、にーい…」から始めてたもんなぁ。あれを小さい頃から「ぜーろ、いーち…」と言っていたならば、こんなうっかりはなかったような気がする。それもおかしなものなのだけれど。

さて先日、出演させて頂いているドラマが放送開始。
第一回の放送時にはいつもしてもしょうがない緊張と後悔をするけれど、その第一回の内容となっているのはその放送以前の過程。でも結果としての1より0からの過程が大事、というのはどうも胡散臭い。結果も過程も大事。というか或る段階での結果は次の段階への過程なんだな、というのを連続ドラマの現場に入っていると改めて痛感します。

目を細めて自分の時間を見ると、この先ずっと過程と結果の螺旋状の二層構造なのではないかと思う。つまり今日さぼったら明日に響く様に出来ている!おそろしいが事実だ。明日以降の自分の為に生きるなんてなんだか癪だけど、結局そういうものかもしれません。

あわよくば昨日食べきるのを我慢した「おやつ」のおこぼれに与れるぞ!(そんな事か。)

2008.01.13 Sun.

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