MEMO

ミムラが見たり、聞いたり、感じた事を気ままに書くコラムです。

Nov.200830

『本に染まる』

読書の秋とはよく言ったもので、この秋は、毎日オットか私の買った本がオンラインショップから届き、視界に入った本屋全てに吸い込まれて生活を送っていた。出張が連なる生活は不便もあるけれど、ホテル滞在中は細かな家事をやらずに済むのがありがたい。自分の時間いつもより多く持てる。その余った時間をほぼ読書に費やしているので、小説、絵本、漫画、エッセイ等、ジャンル問わず数えるならここひと月で二百冊は読んだと思う。いつもは月五十冊から多くても百冊程度だから、なかなか多い方。

ネット上で本が買えるのはとても便利だし、その上経済的だと思う。「え?ボタン一つで買えてしまうから、つい買い過ぎちゃうんじゃない?」って思いますか?確かに簡単には買える。でも情報量がそれほどでもないから大丈夫なのです。オンラインショプには、きっと大型書店を上回る量の本があるでしょうし、内蔵情報量は実際の書店の比ではないはず。でも、検索せねば出てこないし、実際にしっかりあらすじやカバーデザイン等を見ようと思えば、一ページにつき十冊程しか表示されず、自ずと「選ぶ」ことにも慎重になります。

それに引き換え、実際に本屋で四方八方を物質としての本に囲まれた時の、なんと危ないこと。パッと見ただけで何千、何万という背表紙が、平置された本が見える。インクと紙の匂いにソソる。黙々と本を、活字を、情報として食す人達の空気にのまれる。

そうなったらもう、止まらない。梢から梢へ渡り歩いて好物のフルーツやナッツを探しては食べ、食べ切らないうちにまた探しだす気忙しい猿のように、せかせかと本棚間の通路を動き回る。新刊はなんだ、文庫はどうだ、お、絵本コーナーが広くなった、む、あの作家さんの新作だ!あ、噂の復刊漫画じゃないか!

心中でキャッキャとまたも猿の如く興奮の奇声を発して、気に入ったものを片手に持つ、小脇に挟む、それでも間に合わなくなって両手でよっこらせと運ぶ。バランスが崩れそうになったら少ししゃくれさせた顎でしっかと抑える。そんな格好の悪いことになってからようやく、興奮によって頭の奥深くに追いやられていた冷静な自分が「もうやめとけ」と号令をかけ、未練たらたら、よたよたレジに向かう。

買ってきた本をデスクの横に積み上げて、読み終わったら本棚へ。さぁ次はどれにしようかな、と手を擦り合せて積まれた本の山を眺めている時が、何とも言えず幸せ。ああ、働く場所があって、そこで得たお金をこんな風に好きなことに使えて幸せだなぁ、としみじみ思う。

小さい頃、本はゲームやテレビと違ってどんだけ長い時間向き合っていても怒られないのも魅力だった。でも同時にいつもあることを感じていた。

本の中にはだいたい影があって、信じられないくらい悪い人や、気味の悪い生き物もいる。誰かが死んでしまったり、喧嘩や戦争だってある。そういった恐いシーンや、自分が経験したこともないような深い不幸が主人公を襲うシーンの時、そっと本から目を上げ、目の前に居る大人を見てみる。自習時間の先生だったり、インゲンのスジ取りをしている母だったり。本の中は大人が考えるような安全地帯ではなく、危うすぎる場所だと思うのだけど、自分の傍らで静かに本を読む私に、大人達は何の不安も感じていないようだった。私はその事実に安心しながら、不満だった。

その頃は今のようにはやく本を読めず、一冊の本を二週間ぐらいかけてゆっくりなぞり、本の中にどっぷりと浸って文字を、文脈を噛み締め、読んでいた。本の中にある凶悪さ、善良さ、純粋や混沌も、万遍なく吸収しようとした。だから読み終わった直後は、全く一冊の本の世界に染まりきった存在になっていたと思う。そんな様々な本の要素を吸い込みその複雑さに膨らんだ自分を、「本を読んでえらいわねぇ」などと安易に褒めてくる大人の態度が、不満だったのだ。


いま、本と向き合っていて一つ惜しいのは、あの頃の危うい集中力と同調力が、今の自分には無いということだ。何かに急かされるようにたくさんの本を読むようになったのも、この弱まってしまった力を何とか補おうとしての結果なのかもしれない。

2008.11.30 Sun.

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