MEMO
ミムラが見たり、聞いたり、感じた事を気ままに書くコラムです。
Jul.2009 4
『四捨五入して』
誕生日を跨ぎ超えました。二十五歳です。
母からのメールによると、1984年1月18日料理中に胎動を感じ、父からのメールによると、午前11時43分に誕生してきたそうです。
普段、自分という存在の起源は、自我がはっきり芽生えた頃からだと思っている。私はこう思う、私はこうしたい、私はこれが好き、という具合に他者と自分とを隔てて、独立した意識を持ったのが自分の誕生のような気がしている。
でも自分の「誕生」という事実を、上に並べたような数字を通してじっと考えていると不思議な気分になります。
例えば母の胎内で動き回ったこと、肺呼吸を始めたこと、初めて父の顔を見たこと、姉の手を握ったこと。それらの記憶には残っていないが事実存在した無我の自分こそが、実は本当の自分なんだな、という奇妙で圧倒的な納得が押し寄せてくるのです。
後に構成された、自身で思っている今の「自分」というの
は、何十にも重なり意識を覆っている服のようなもの。所詮その服は世の中にあるものから引っ張ってきた何かなのだから、いつかきっと脱げてしまうものなのだ。できる限り本当の自分だけになって、つるりと死んでいけたらいいなぁ。
まだ若い時分、つまり今まさに、着ぶくれた自分を感じるのです。要らぬ自意識過剰や要らぬ見栄、それらを覆い隠すためのありとあらゆる不必要な壁を身にまとって、動く度にごそごそと仰々しい。こういう話を書くのにここまでたくさんの言葉を使わないと書けないのも、同じ現象でしょう。
それに反して歳をへてほぐれた人と話すと、自分の不自由さに気づいてぎょっとする。いつ誰に攻撃されるやもしれないと武装して、びくびくしていることを思い知らされます。
ああはやく、身一つの自分としてすっと存在できるような生き物になりたい。
なんてことを生まれた日に考えました。
誕生した日に対局にある「死」を想像するのは少し薄暗いように思えるかもしれませんが、私達生き物の生はメビウスの輪ではありませんし。どこをどのように巡ろうが始まりと終わりは必ず存在するわけで、それらをセットにして考えるのは意外と自然なことです。
1984年6月15日に生まれた私は、一体何年何月何日にこの世から去るのだろう。気持ち的には百歳までのつもりなので、丁度四分の一、第一コーナーってことかな。
おお、そう考えると結構長い!
先の長さを想像してわくわくできるような四半世紀を送ることができた私は、幸せ者です。
それにしても四捨五入していよいよ三十とは。
いい響き! いい具合です。体感年齢と実年齢がしっくりくるまであと一息だなぁ。想像では四十五くらいでやっと、自分の年齢に納得がいくような気がしています。
2009.07.04 Sat.
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