喫煙者の役柄を演じる機会を頂いた。
デビューしてすぐは未成年であった為そのような役には当然起用されず、その後すぐに禁煙ブーム。その流れはブームだけではとどまらず本格的に喫煙者人口が減少した為、得る事のなかった機会がついに到来した。実はずっとやってみたかった役設定のひとつだったのです。

出演が決まってすぐ、私は張り切って撮影中に使う煙草の代用品を買い求めた。生まれてこのかた吸った事がないわけではないが、そのたった一度は四歳の時で事故的誤飲だったので経験とはいえない。しかし吸った事のない自分でも「あ、この人普段吸わないんだな」と解ってしまうのが煙草の仕草の恐ろしいところ。きっと難しいはずと覚悟して、なんとか不自然なく乗り切る為に四箱購入。あとはいきつけのカフェで煙草を吸える所へ行き台本と共に持ち込んで淀みなく肺まで吸って吐く特訓をしつつ、他の喫煙者の方々の特徴や好ましいマナーを学ばせてもらった。

愛煙家の友人に吸っている仕草を見てもらい合格点をもらった時に聞いたのだが、以前どこぞの雑誌だかなんだかで私に喫煙者の噂があったらしい。根拠は「歯が黄色いから」だけと聞いて笑ってしまった。審美に気を遣っている方の多い業界なので、大体の方が青白く見える程に真っ白である。そこにきて何もしていなかった私はそのように見えたのかもしれないが、吸っていたらこんな苦労はしない。

しかし今回、随分喫煙者の方々の言う道理がわかってきた。火をつけてすぐとフィルターに近いところで味が違うこと、煙の出易さにも差があること。山奥にいって<空気のうまいところで吸う煙草は格別>という説も実験したが、気のせいではなく美味しい水でスープを作る如く一緒に吸い込む空気も味や香りを左右するのだと解ったし、一緒に飲むのはコーヒーくらい味のしっかりしたものが良いというのも最もだと感じた。苛立った時に吸う煙草は深呼吸と同じ効果があって落ち着くし、何かの作業で疲れた時に迎える“一服”にもなるほどと思った。慌ただしい中で煙草がもたらす自分の時間が確保された安心感は、他のものではなかなか代用が利かないないかもしれない。

と同時に、煙草を吸う人達が周囲の吸わない人達にどんな風に気遣ってくれているかというのも垣間見ることができた。一番はいつも私とのご飯の時は禁煙席にしてくれていた愛煙家の友人が、今回私の勉強の為にと座った喫煙席で迎えた食後の一服時に放った「話しながらゆっくり吸えて嬉しい~」というとびきりの笑顔だろうか。いつも私の為に我慢してくれていたのだなぁと改めてありがたく、今後は時間を共にするときは時々喫煙席に座ろうと思った。今までがフェアでなかったのは、禁煙者の方が先進的であるという勝手な思い込みと友人の配慮によるが、友達の幸福な時間を削る権利は私にはないと痛感。少々の副流煙くらいなんだというのだ。

する・しないの二極の人種がいるなかで、自分とは違う側に立つというのは面白いほどに視点が変わるもの。禁煙を実行した方はこの様変わりを逆に経験して、多々の実感と発見があるのだと思う。よかったですね~と気軽に聞いてきてしまった禁煙成功トークも、今後はもっとしっかり具に聞いてみようと思った。


買い足しもして最終的には六箱、撮影中も数えるとほぼ八箱消費。撮影後に練習用の最後の一本を吸いながら、不思議な感慨に耽った。

これでもうしばらくは吸う事もないだろうし、また迎えた撮影初日に三十本以上吸ってまんまと気持ち悪く
なった経験も踏まえ、吸った事がない人に推奨するわけでは全くないが、なんだか新しい友人が出来たようで楽しい二週間だった。その分、これで終わりと思うと少し寂しい。日が落ちると毎夜寒さと共に舞い降りるようになってきた“今年ももう終わるんだなぁ”という気配が、余計に寂しさを煽る。

世間的にはこれからも喫煙者人口は減少傾向かもしれないけれど、一観客としては煙草を吸っているシーンの情緒と間が大好きなので、映像上にはこの先もぷかぷかと煙をくゆらす愛煙家がずっといてくれたらいいなと思う。

<追記> 夫から「この表現ではまずいのでは?」と指摘をもらったので付記。「副流煙ぐらいなんだというのだ」というのは生まれてこの方ばっちり健康体であり覚悟もしている自分に降りかかる分には、という前提での感想です。副流煙は喘息などの呼吸器疾患の方には深刻な影響をもたらすものと理解していますが、そのような方が読んだらみだりな喫煙推奨のように読めて不愉快な内容だったかなと。

喫煙推奨でなく「役柄の為初喫煙して色々発見があった」という個人的雑感が主旨ですので、何卒ご容赦くださいませ。

2013.11.27 Wed.


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